2016年10月26日

円城塔「道化師の蝶」にまつわる解題と所感を紹介

現代文学の最先端を行く作家、円城塔。
あまりにも前衛的・難解な作風によって、一般的に受け入れられているとは言い難いが、個人的には現代で最も優れた作家の一人と言ってまず間違いないと思う。あまりに技術が高いために、弩級にすごい作品を描いているのに、それが具体的にどうすごいのかが読み手に伝わらない。

そこでこの場では、円城塔の代表作かつ芥川賞受賞作でもある「道化師の蝶」を題にとって、解題と所感を記すことにする。少しでも多くの人々に彼の魅力が伝われば幸いである。
なお、解題を含むので、最低限一読した方に読まれたい。

あらすじ

着想

「着想を捕える網と、着想そのものである意識主体(=蝶)の話」

要素

  1. 「飛行機でのエイブラムス(男)とわたし(Ⅴ章から推察すると男)のやりとり」
    「捕虫網で着想を捉える話」「『――で読むに限る』という本の話」
    「エイブラムス氏の略歴」
  2. 「多言語作家友幸友幸の話」
    (Ⅰが友幸作品『猫の下で読むに限る』のわたしによる翻訳であることが明かされる)
  3. 「フェズ刺繍を学ぶわたしの話」
    (遍歴等の特徴から友幸自身であることが示唆される)
    「わたしの遍歴の回想と独白」
    「飛行機でのエイブラムス(女)と乗客(女)のやりとり」
  4. 「サンフランシスコでのわたしの独白」
    (この小説の謝辞をわたしは今書いている、という設定。これまでの文章すべてを論文と称してわたしが書いている、という設定か)
    「エイブラムス氏の設立した友幸発見のための組織とエージェントの仕事の話」
    「わたしが『A・A・エイブラムス私設記念館』のカウンターにレポート(これまでの文章)を提出する話」
  5. 「カウンターでレポートを受け取ったわたしの、この施設に勤めるまでの経緯の回顧」
    (「刺繍が読めます」というくだりから、ここでのわたしは友幸であることが示唆される)
    「私設記念館の収蔵物とわたしとの関わり」
    「枠だけの扉に蝶が飛ぶ抽象的空間における鱗翅目学者の老人とのやりとり」
    (段落空きがなく、無段階的に移行する)
    「老人がわたしに着想を捕える網の製作を依頼する話」
    「鱗翅目学者とエイブラムス氏のやりとり」
    (鱗翅目学者はエイブラムス氏に捕虫網を渡す)
    (私は(恐らく)冒頭Ⅰの話におけるわたし(男)のなかに卵を産みつける)

さてこそ以上はこの話の分析結果。こう見ると単純に、前章を次章が包みこむ入れ子構造をしており、Ⅴ章はⅠ章へ戻る円環構造を呈している。この物語上の構造そのものと、個々の物語の物語性そのものとが、恐らく非論理的な仕方における全体の物語性を担保しているのだろう。

詳しく言うと、2は1を含み、4は1~3(あるいは1だけ)を含み、5は1~4を含む。だから(((((1)2)(3)4)5)となる。これで全話が関係を持つ。読み進めるうちに入れ子構造となり、まとまりを帯びてゆき、最後の5で1に接続されて物語は終えられる。

キーとなる一節

p53(Ⅲ―友幸)
今はもうすっかり忘れてしまったが、かつてわたしはそんな網を編んだことがあるに違いない。少し違ってあの網は、わたしが将来編むことになる網だと気づく。

p58(Ⅳ―私)
子供のころは宝石を加工する職人になってみたかった

p77(Ⅴ―友幸)
宝石。
そう書いてみて、クエスチョンマークをあとへ続ける」

p89(Ⅴ―友幸)
わたしは男の頭の中に、卵を一つ産みつける。
言葉を食べて、卵から孵る彼女は育つ。
こうしてわたしは思考を続ける。

各章に対して相関がみられ、恐らくキーとなる一節。
p53抜粋で、Ⅲの飛行機内での友幸の独白は、Ⅰの私とエイブラムスの話よりも以前のものであることが示唆されている。p58、77では、宝石とのキーワードが私と友幸双方に見られる。

これは、友幸が私から受け取ったレポート内に「記憶の仕舞われる場所の住所」を見出したことを示唆しているように思える。その示唆はさらに、友幸が、個々人の着想や記述内容(というか認識・意識)そのものによってその存立を可能とする、純粋に記述的な存在者というあり方を示唆している、ように思える。もっとも、通常人だって、「客観的世界に位置づけられた一個人」として見れば、(純粋とは言わないまでも)まさに記述的な存在者というあり方をしているのだから、これは一種のデフォルメに過ぎないのかもしれない。これは、p89抜粋でさらに強く印象付けられる。「言葉を食べて」との一節が確信的。

全体の構造と所感

主な人物は、友幸捜索のエージェントである「私」。稀代の他言語作家「友幸友幸」。着想を捕える事業で成功を収める事業家にして友幸友幸捜索のボス「A・A・エイブラムス」。謎の「鱗翅目学者」。この四人。で、Ⅴ章の終わりで、友幸友幸は架空の蝶がエイブラムスに植え付けた卵から孵化したことが判明する。

着想の権化とも言うべき友幸友幸には「p51:記憶の仕舞われる場所の住所」を忘れるという特性があり、エイブラムスに自らを追い求め記憶を収集させる(=卵を植え付ける)ことによって初めて、その存在を世に固定することができた(人の間で語られるようになった)。結果として彼女は、「p73:わたしの仕事の集積地」である私設博物館で受付をしているのだろう。そこでの最後の回想は、自らの誕生を示唆する、という円環構造を成している。A・A・エイブラムスこそ、彼女にとっての始まりなのだ。

ここでの「私」の立ち位置は奇妙だ。自らの報告でもある前述Ⅰ~Ⅲ章までの記述を受付嬢である友幸本人が読み、そこに自らの「記憶の仕舞われる場所の住所」を見いだしている。このことにより、「私」と「友幸」との存在がダブって感じられる。つまり友幸は着想で、私は図らずも友幸を生じさせた、という具合に。それは、A・A・エイブラムスと友幸友幸の話自体をまるごと創造した「私」こそ、「友幸友幸」の存在の源だと見ることもできる。ちなみにこの「私」により語られる、「p57:一軒の喫茶店で二時間を過ごすというのがわたしの作業スタイルなのだが、」という言は、この物語の作者である円城塔自身も同様に語っている(確か「作家の読書道」あたりで)。このことが、物語全体をさらなる入れ子に落とし込む。つまりは、「円城塔の想像「私の想像「エイブラムスの想像「友幸友幸」」」」という具合に。ただし、円城塔以下作中人物によるこの入れ子は、他者が他者を含みこむという複雑なあり方をしており、決着がつかない。

ただ一つ確言できるのは、この入れ子の頂点には読み手であるこの私が存在している、ということだ。この複層的な構造によって円城は、読む(書く)という行為そのものを暗示しているのではなかろうか。つまり、友幸友幸も、私も、エイブラムスも、円城塔でさえ、この私の存在により初めて存在しているのだから。したがって、道化師の蝶が植え付ける卵とは実のところ、この私(永井哲学で言うところの「独在性の私」)を示唆しているのかもしれない。いや、それは深読みのしすぎだろうか。何にせよ、蝶に卵を植え付けられた張本人はこの書物の読み手そのものなのだ、というふうに読めば、この物語は図抜けていい話に思えてくる。少なくとも自分には、道化師の蝶がそのように見えた。

友幸友幸とは何なのか?

つまり友幸友幸は、人の間で語られることによって初めて存在できる、形而上の存在なのか……? 人との関わりによって――というよりも言語によって初めて浮き彫りにされる、逐次的存在なのかもしれない。それはつまり、現にこれを読む読み手のその読みのあいだにのみその存在を許された、逐次的存在。という意味でいうとこれは、読む(書く)という行為そのものに対する暗示、とも取れる。

友幸友幸の著作とは?

「――で読むに限る」という類の本は、読むことの逐次性に対する比喩・暗示、なのか。
 それは同時に、編むこと(「編みもの」および「記憶の仕舞われる場所=記述内容」)により存在を可能とする友幸友幸に対する示唆でもある。

二人のエイブラムスの存在

しかしⅢで東京―シアトル間の飛行機内でのエイブラムス(女)の話が出てくるのはどういうことだろう。友幸にとって、エイブラムスが「記憶の場所の仕舞われる住所」だから、ということなのだろうか。と考えると、全ての章が全ての章を含みあっている? 

いや、Ⅲでの思い起こしに登場する女が、エイブラムスだとは誰も言っていない。しかも彼女はその「幸運を捕まえる網(着想を、ではなしに)」を、骨董屋で買ったという。エイブラムスは鱗翅目学者から網を譲り受けたが、彼女は買った。だからこれは、同じ東京―シアトル間の出来事ではあっても、過去か未来の話なのだろう。その証拠に、友幸はこんなことを言っている「p53:今はもうすっかり忘れてしまったが、かつてわたしはそんな網を編んだことがあるに違いない。少し違ってあの網は、わたしが将来編むことになる網だと気づく」。Ⅴで友幸に網の作成を依頼するのがⅠの鱗翅目学者、と見るのが自然。

内容理解と面白さ

内容の理解が必ずしも物語の良し悪しと絶対的に関わっているわけではない。たとえ自分に納得のゆく解題ができようとできまいと、その作品を読んで面白かったか、そうでなかったかは、印象によるしかない。読後こうして分析的に批評する以前から、自分は確かにこの作品に良さを感じていた。この解題の内容がその良さの理由というわけではない。

円城塔は自分にとって、作品への理解が必ずしも作品への良し悪しと手を取り合っているわけではないことを教える数少ない作家の一人であることは確かだろう。彼の作品は、往々にしてわけがわからない。しかし、わけのわからなさを押して、良いところがある。それは果たして何なのかと、追求できないほどの深みが確かにある。

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