現役続行を表明した、元スーパー王者・内山高志の足跡
世界王者として11連続防衛を果たし、ハードパンチで数々のKOを積み上げてきた「KOダイナマイト」こと内山高志。
しかし4月27日のコラレス戦での衝撃的なKOで積み上げてきたものが一瞬にして崩れ去り、もはや現役を続けるモチベーションはないのではないかと言われていました。
内山高志とは、スーパーフェザー級を舞台に日本歴代2位となる11連続防衛を達成した日本が誇るトップボクサーです。
戦績は26戦24勝1敗1分、KOは20を数え、世界から怖れられるハードパンチャーです。
年齢こそ36歳になったものの衰えは一切見せることなく、このまま具志堅用高が持つ防衛記録を塗り替えるのではないかと思われていましたが、2016年4月27日のタイトルマッチでジェスレル・コラレスと対戦し、2回に3度のダウンを奪われるまさかの敗戦を喫したことで、6年半守ってきた世界王者の座を明け渡すことになりました。
しかし内山高志が歩んできた道のりは決して平坦ではなく、世界王者になってから何度も海外進出を口にしてきながらも、ついに叶わないまま王者陥落という悪夢に見舞われました。
モチベーションの低下から引退するのではと見られていましたが、本日(2016年10月12日)会見で現役続行を表明しました。
全てを失った内山高志はゼロからの再起戦をどのように飾るのでしょうか。
これまでの内山高志の足跡を辿っていきます。
アマチュア時代
内山高志のボクシングの出会いはボクシングの競合である花咲徳栄高校でのボクシング部入学からでした。学生の部活動としてのボクシングに馴染みの無い方が多いかと思いますが、部活動のボクシングはいわゆる「アマチュアボクシング」と呼ばれるもので、オリンピック競技にもなっています。
プロボクシングとはグローブの大きさや細かいルールが違う点で、アマチュアボクシングは違う競技だと言われることもありますが、ボクシングで世界王者になっているボクサーの中の多くが部活動を経由しているため、アマチュアで良い成績を残すことが、世界王者への道でもあるのです。
高校では3年時に頭角を表し、初の全国出場となった高校総体ではベスト8、国体では準優勝という成績を上げたことで、名門である拓殖大学に推薦入学します。
しかし拓殖大学は日本でも有数の名門であることから、高校時代の内山の成績は特別優れたものではなく、当初は補欠にも選ばれずに、同級生の荷物持ちをさせられることからのスタートでした。
内山は寮でみんなが寝静まってからも練習をするなど文字通り人一倍の努力を積んだ結果、頭角をあらわし、大学4年時に国体で準優勝、さらにはアマチュア最高の舞台である全日本選手権で見事優勝しています。
卒業後は建設会社の事務員として働きながら、アマチュアボクシングを続け、国体や全日本選手権で優勝するなどの成績を収め、2004年のアテネオリンピック出場に照準を合わせていました。
しかしオリンピック出場をかけたアジア地区予選で1回戦で敗退し、続く国体でも優勝を逃したことから、内山はこの試合を最後に引退を表明します。
当時、内山はもはや復帰することは考えておらず、仕事をして空いた時間に友達と遊ぶなど普通の生活をしていたところ、だんだん物足りなさを感じてきた折に、プロボクシング関係者からの説得をキッカケにプロボクシングへの転向を決めます。
この時には当時隆盛を極めていたK-1からのオファーも合ったようですが、断っています。
プロボクシング転向
内山はアマチュア時代の実績が合ったことからB級ライセンスと呼ばれる、6回戦からデビューできる権利を持っていました。
通常プロとしてのキャリアはC級ライセンスから始まり、4回戦からのスタートで、そこで4勝を挙げることでB級ライセンスを獲得することができます。ちなみによく目にする「◯回戦」というのは、そのボクサーが試合をできる最大のラウンド数のことで、例えば4回戦というのは4R制の試合が行えるということです。
ちなみに、B級ライセンスからのスタートは、アマチュアでの実績を「日本ランキング10位以内の実力」とみなされることで可能になることから、内山はデビュー時点からプロでも十分高い実力を持っていたことが伺えます。
内山は持ち前のハードパンチを活かしてKOを量産し、世界王者になる以前の東洋王者の時代からその名を轟かせていました。日本人ボクサーは比較的スピードやテクニックで海外勢と闘うことが多い中、内山は日本人離れしたハードパンチを武器に、海外勢を次々とKOで沈めていきました。
そして2010年の1月11日にファン・カルロス・サルガドを相手に12RKO勝利を収めて世界王者を戴冠します。その後もKO勝利による世界戦防衛を積み重ね、いつしか内山は海外で試合をすることを強く望むようになります。
幾度となく頓挫した海外進出
内山は日本のボクシングファンにとっては知られる存在になり、同じ階級では敵なしの状態になっていましたが、世界のボクシングシーンにおける日本市場は軽量級の無名ボクサーが争う舞台であり、さほど注目されていないのが実情です。
そのため海外のボクシングファンからはほとんど認知されておらず、そのことを苦々しく思うファンも大勢いました。もちろんいわゆる大人の事情で内山の試合を必ず中継していたテレビ東京の都合や、所属するワタナベボクシングジムが大手ではなく海外とのコネクションを持っていないことなども影響しています。
内山自身も国内での仕事は果たしたとして、ワタナベ会長に対して幾度となく海外進出を直談判したものの、対戦相手に膨大なファイトマネーを要求されたり、テレビ局との契約の都合上からついには叶うことはありませんでした。
それより少し前には、帝拳ボクシングジムに所属していた西岡利晃がラスベガスのメインイベントを務めるなど日本人でもアメリカで興行が可能だということが証明されていただけに、内山も相当なモチベーションの低下があったようです。
日本人2人目のパウンドフォーパウンドにランクイン
前述の通り、日本のボクシングは海外から見て過度に軽量級に特化した、特殊な市場であり、国際的には中量級以上のボクサーでないと満足に客を呼べないというのが実情としてあります。
そのためこれまで日本は多くの世界王者を輩出してきながらも、国際的に高く評価されることはなく、階級が全て同じだった場合のボクサーの強さを示す指標である「パウンドフォーパウンド」でも日本人がランクインすることはありませんでした。
しかし、日本人ボクサーはここ最近力をつけて強豪選手を破ることも出てきたことから、2015年に初めて山中慎介がパウンドフォーパウンドの10位にランクインしました。
さらに続く発表では、内山高志が10位につけ(その時山中慎介は9位)、日本人として2番目のランクインを果たしました。
海外での試合経験がないにも関わらずランクインするほど、当時の内山は日本でのパフォーマンスは群を抜いていたのです。一方でそれだけの実力がありながら海外で試合ができないことに対するフラストレーションもかなり大きいものがあったのでしょう。
まさかの王座陥落
2015年2月には9度防衛した時点で7度のKO勝利を収めていた実績が評価され、通常の世界王者よりもグレードの高いスーパー王者にも認定されていました。
もはや日本に来る相手に内山の相手はおらず、11度連続防衛を重ね、このまま具志堅用高の持つ13度連続防衛を塗り替えるのは時間の問題だと思われていました。
しかし2016年4月27日の試合で悪夢が訪れます。WBA世界スーパーフェザー級暫定王者ながら、国内外では無名であまり評価の高くなかったジェスレル・コラレスを相手にまさかの2RKO負けを喫してしまったのです。
本来の実力を発揮できれば問題なく倒せたであろう相手にKO負けを喫してしまったのは、己自身にあったのかもしれません。
内山はボクサーの中でも一際自己管理能力の高い選手で、試合がないときには大幅にリバウンドしてあまり体の絞れていない選手が多い中でも、内山は常にシェイプアップを欠かさず、常に理想体重をキープしています。
また年齢と実績を重ねることで練習のハードさを知らずの内におとしてしまう選手もいる中、内山は加齢による衰えを全く感じさせないフィジカルパフォーマンスをキープしていました。
それでも幾度となく海外進出に失敗したことから、「正直、モチベーションが下がった」と本人の口から語られるなどかなりモチベーションコントロールに苦労していたそうです。
コラレスも無名の選手であったことから「コラレスを倒しても何になるのか」という葛藤があったのかもしれません。
それでも一旦王座を陥落すれば、残ったのは36才というボクサーとしては残り少ない寿命であり、もはや内山は復帰しないのではないかとも見られていました。
現役続行宣言
そして冒頭の通り、本日2016年10月12日に内山高志は現役続行を表明しています。
内山自身も燃え尽きていた所はあるようで、ロードワークこそ続けていたものの、ジムワークはこなしていなかったそうです。
気持ちが落ちたら体力も低下しているのではないかという懸念もあったそうですが、ジムワークをこなしていると体力の衰えはないことを実感し、スパーリングを行う内に現役を続けたい気持ちが再び芽生えたそうです。
もしかしたら内山に待ち構えているのは茨の道なのかもしれませんし、海外挑戦は最後まで叶わないかもしれません。
それでもファイターとしての本能が彼をリングへ駆り立てるのでしょう。
連続防衛記録こそ途絶えてしまいましたが、内山高志は間違いなく日本のボクシング史に残るスーパー王者であることは変わりません。もうしばらく内山の戦える姿を見れるのは何よりもありがたいことです。