黒田博樹はなぜファンを魅了するのか、その男気伝説を紹介します
黒田博樹と言えば今や代名詞となっているのが「男気」です。
日本だけでなくメジャーリーグでも人間性が高く評価されている黒田博樹ですが、そのエピソードを余すところなく紹介していきます。
目次
現在セ・リーグではクライマックスシリーズが行われていますが、セ・リーグの目玉は何と言っても広島カープだと思います。
ここ数年「カープ女子」という言葉が流行したように、これまで野球を見なかった人たちもカープに関心を注いでいて、スタジアムは連日満員御礼という状態です。
しかもカープは長らくBクラスの常連で、資金力もなく大物選手の流出などもあって25年もの間リーグ優勝していませんでした。それがここ5年ほど前から、徐々に若手の有望株が育ってきて、今年完全に花開いて、2位の巨人に17.5ゲーム差をつける圧勝劇で見事優勝しました。
広島では優勝決定時のテレビ中継の平均視聴率が70%、瞬間最高に至っては81%を記録するなど、まさに広島中の関心事になっていました。願わくば本拠地のマツダスタジアムで決めてほしかったですが、東京ドームでの胴上げとなりましたね。
ところで広島には人気選手がたくさん在籍していますが、やはり今年は何と言っても黒田博樹と新井貴浩が印象的でした。中でも黒田博樹は日米通算200勝を達成するなど、メモリアルイヤーとなったのではないでしょうか。
それにメジャーからのラブコールを受けながら1/5以下の年俸で広島にやってきたのは、まさに男気って感じでしたからね。
そんなわけで、今回は黒田博樹の男気伝説をいくつか紹介したいと思います。
2015年にメジャーリーグからの21億円のオファーを蹴って広島へ
何と言ってもまずはメジャーリーグから広島へ移籍してきたことは外せません。
黒田は2015年シーズンから広島に復帰していますが、その前には7年間メジャーリーグで一線で戦っていました。
ドジャース、ヤンキースと名門球団を渡り歩き、メジャーリーグの中4日という非常に過酷なローテーションを守り続け、5年連続の2ケタ勝利という快挙を成し遂げました。
特にヤンキースでは先発陣に故障が相次ぎ、最後まで黒田に依存しきりということもあって、メジャーから広島に帰ってきた年も破格のオファーを出していました。
もちろんヤンキース以外からもパドレスなど複数の球団からのオファーもあり、最高で21億円のオファーもあったのですが、なんと古巣広島に帰ってきたのです。年俸は広島として最高額ながら4億円。
お金では勘定できない熱い魂が黒田を突き動かしているのがよく分かるエピソードです。
その復帰は、7年前に語ったメジャー挑戦時の言葉が嘘偽りないものであったことが明らかになった瞬間でもあったのです。
2006年にFA宣言せず広島残留
2006年当時、黒田は広島の絶対的なエースとして孤軍奮闘していました。
当時の広島は今と違って優勝を狙えるチームではなく、常に最下位争いを演じるほど弱小球団でした。
その中でも黒田は最多勝や最優秀防御率を獲得するなど、球界を代表する投手になっていましたが、2006年には黒田もFA権を取得し、他球団に移籍してしまうのではないかと騒がれました。
実際にFAを取得した有力選手で、万年Bクラスに甘んじている球団に所属している選手は、優勝が狙えて資金力が豊富なチームへ移籍することがほとんどなので、黒田もそれに追随するのではないかと思われていました。
しかし黒田は残留してほしいというファンの思いを汲み取り、FA宣言せず残留を表明します。
たかだが一選手が残留表明をしただけ、と関心のない人は思うのかもしれませんが、これは広島中に感動を与えたことで、広島市から「広島市民表彰」を授与されるなど大変な出来事だったのです。
翌年にはメジャー挑戦を表明しますが、この時に「また日本に戻ってくるなら必ず広島へ復帰する」と宣言し、それが現実になったのは周知の通りです。
勝利への執念が強すぎる余りの行動
黒田博樹といえば人一倍勝利への執念が強い投手であることは知られています。
メジャーでは複数年契約が結べる状況にも関わらず、あえて自ら一年契約を志願し、もし結果が出なければ解雇になってしまうという状況に追い込んでいました。
そして年齢的な問題もあり、一試合一試合が自分の引退登板になるかもしれないという決意から、常に不退転の決意でマウンドに上がります。
それを象徴するのがピッチャーライナーへの対応です。
黒田は打ち返された打球が自分の方向に向かってきて、それがグローブを嵌めていない右手側であった場合、いつも反射的に手を出してしまうクセがあります。
それによって怪我をすることもあり、それでも続けてしまうことからイチローはそれを皮肉交じりに話していたこともあります。(もちろんイチローなりのユーモアを込めてですが)
黒田はそれについて勝利への執念が薄れて、手を出さなくなったらやめる時だと言っており、理屈では割り切れない熱い思いがそうさせてしまうことを伺わせるエピソードです。
ドジャース時代に打球が頭部にあたり、搬送された時のエピソード
黒田の人柄はメジャーでも高く評価され、あのメジャーナンバーワンピッチャーであるカーショウも黒田に惚れ込んだいた事は有名な話です。
ドジャース時代のダイヤモンドバックス戦、相手打者ラスティ・ライアルの打ち返した当たりが黒田の頭部を直撃し、救急搬送されるアクシデントが発生しました。
それについて相手のライアルは手紙で「あなたに怪我をさせてまで野球を続けたいとは思えない」とつづったところ、黒田は「僕が野球をやめた時、彼にボールを当てられたと胸を張れる選手になってほしい」と返し、傷心していたライアルを励ましたという話があります。
余りに男気あふれる発言にメジャーでも賞賛されたエピソードです。
これは美談ではないのですが、黒田のメンタルの強さを物語る話として、学生時代の考えられないようなしごきをニューヨーク紙に語ったことがあります。
ミスをするたびにケツバットで椅子に座れないほどの痛みを負ったとか、15時間連続で走らされたとか、水分補給してはならないから水たまり水を飲んだとか、そういった昔ながらの根性論のエピソードを語った所、ニューヨークで衝撃が走り、そんなクレイジーな経験をしたからマウンドでは何があっても動じないのかという風に語られたことがありました。
年齢を重ねても変わらぬ強さ
この他にも黒田の男気を物語るエピソードはあるのですが、主要なものとしては以上になります。
現在41歳を迎えていますが、今なお広島のローテーションとして勝利に貢献し続けているのは、黒田の頑丈さにもありますが、何より衰えない勝利への執念にあると思います。
プロ野球選手は一度栄光を手にすると、それと同じようなモチベーションを維持するのに苦しむ選手が多い中、黒田は目の前の一試合一試合に全力を注ぐことだけは絶対に変わらず、ファンを魅了し続けています。
残念ながらクライマックスシリーズでは敗れてしまい、日本シリーズ進出を決めることはできませんでしたが、おそらく日本シリーズ進出を決めたときには、パ・リーグとの日本一を決める一戦に登板することになるでしょう。
もしかしたらキャリア最後になるかもしれないこの歳に勇姿をまだ見られるというのはこの上なく幸せなことです。