ビリー・ワイルダーが映画の楽しさを教えてくれた
ビリー・ワイルダーほど、映画の話術の楽しさを教えてくれる監督はいません。小道具、回想形式、緩急自在の演出など、その使用ぶりの巧みさはどの作品を見ても舌を巻くほどで、三谷幸喜が私淑するのも当然だという気がします。
その軽妙なタッチから、いかにもアメリカンという印象を与えるワイルダー監督ですが、意外なことに生まれはヨーロッパです。ハリウッドの黄金期を築いた代表的監督のうち、アルフレッド・ヒッチコック、ウィリアム・ワイラー、ビリー・ワイルダーの三人が、それぞれイギリス、フランス、オーストリア出身というのは興味深く思えます。
映画という視覚芸術では、エトランジェの視点ということが大事なのでしょうか。
元々は新聞記者
ハプスブルク帝国の威光も薄れかけた20世紀初め、1906年のオーストリアにワイルダーは生まれます。法律家にさせたかった父親の命令でウィーン大学に入りますが、アカデミズムの堅苦しさに馴染めなかった彼は勉強を放擲。新聞記者として働き始めます。
シンフォニック・ジャズで知られたバンドマスター、ポール・ホワイトマンの記事を書いたことから彼に気に入られ、その慫慂でベルリンへ。そこの新聞社に入社して盛んに記事を書き続けました。
脚本家へ
映画の脚本を書き始めたのは21歳の時。1929年から33年にいたる4年間に映画会社の依頼で20本の脚本を書いたといいます。その時、ロバート・シオドマク監督の「日曜日の人々」のスタッフにもなりますが、その時の撮影助手がフレッド・ジンネマン。
ワイルダーを含めたこの3人はいずれも後にハリウッドで監督として活躍、特にワイルダーとジンネマンはいくつもアカデミー賞を獲得するのですから、「日曜日の人々」というのは贅沢な映画だったことになります。
パリで監督デビュー
売れっ子脚本家になったワイルダーですが、ナチスが台頭してきたため、ユダヤ人である彼は危険を感じました。そこで1933年、フランスへ亡命。のちにやはりハリウッド入りする俳優のピーター・ローレや作曲家のフランツ・ワックスマンとホテルで共同生活を送りながら、匿名で脚本を書きます。
そして、1933年、アレクサンダー・エスウェイとの共同演出という形で「悪い種子」で監督デビュー。実際はワイルダー単独での演出だったようですが、製作費の乏しい、ほとんどサイレントに近い作品で、ワイルダー自身が現場で何でもやったアマチュア的な映画です。
アメリカへ
ワイルダーはハリウッドのプロデューサー、ヨーエ・マイに脚本を認められ、アメリカへ亡命することになります。
最初は兄の家に滞在、続いて同時に亡命したピーター・ローレとホテルで共同生活しながら脚本を売り込みますが、なかなか映画化までは至りません。一時的にウィーンに戻って母親をアメリカへ連れてゆこうとしますが、彼女はヨーロッパを離れることを嫌がり、ワイルダーは仕方なくひとりで帰国。結局母親や親族はナチスの収容所送りとなり、全員死亡しました。
ブラケットとコンビを組むことに
ワイルダーはパラマウントの脚本部部長の紹介でチャールズ・ブラケットと出会い、気の合った二人は以後コンビを組むことになります。最初は英語が十全でないワイルダーを補佐する役目だったようですが、ワイルダーは他人とコンビを組んでの執筆が気に入ったのか、以後の脚本は必ず共同執筆となっています。
ブラケットとの最初の作品は「青髭八人目の妻」。この映画の監督であるエルンスト・ルビッチを以後ワイルダーは自分の師と仰ぐようになり、ルビッチの代表作のひとつ「ニノチカ」の脚本もブラケットと共同で執筆しました。
ワイルダーとブラケットのコンビは、ハワード・ホークスの「教授と美女」など有名な作品をいくつも手がけ、ハリウッドでも売れっ子脚本家となります。
ハリウッドで再び監督デビュー
ルビッチ以外の監督が必ず自分の脚本を改悪してしまうことに苛立ち、"脚本を守るために"ワイルダーは再び監督を始めることを決意します。
そして、ハリウッドでの監督デビューとなったのが、1942年の「少佐と少女」。ジンジャー・ロジャースを主演に迎えたコメディで、評判も良く、上々の出発となりました。
脚本は当然ブラケットとのコンビで、ブラケットは製作も担当。この布陣は「深夜の告白」を例外にして、「サンセット大通り」まで続くものとなります。続いて、1943年「熱砂の秘密」を発表。ナチスを悪玉とした戦争ものですが、前作と違ってユーモアの欠片もないサスペンス・ドラマで、これが非常に好評だったせいか、以後しばらくはこの種のシリアスなドラマが続きます。
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そして翌年、1944年「深夜の告白」を製作。前2作とは比べ物にならない評判を得て、ワイルダーはアカデミー監督賞と脚本賞にノミネート。
保険外交員が他人の妻と浮気、その夫を殺害するという筋書きで、そのアンモラルな内容から製作が危ぶまれましたが、完成した作品はワイルダーの代表作のひとつとなり、ヒッチコックは絶賛の電報を送りました。
そのアンモラルなプロットのせいか、相棒のブラケットは協力を拒否し、代わりにフィリップ・マーロウもので有名な作家レイモンド・チャンドラーが共同執筆者に。「見知らぬ乗客」と並び、チャンドラーのハリウッドでの代表作となりました。
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続く1945年には「失われた週末」が封切られ、ワイルダーの監督としての名声は決定的となります。
アルコール依存症に陥った男の行状を強烈な幻想シーンを交えて描き、アカデミー作品賞、監督賞、脚本賞、主演男優賞を独占。ワイルダーは後にも多くのオスカー像を手にすることになりますが、これがその始まりでした。
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陰鬱な作品のあと気分を変えたかったのか、ワイルダーは珍しくビング・クロスビー主演のミュージカル「皇帝円舞曲」を作りますが、これは興行的に失敗。ロマンチック・コメディ「異国の出来事」をはさんで、1950年「サンセット大通り」を製作します。
ワイルダーの傑作は何本もありますが、主人公の異様さが際立つ点で、これが屈指のものでしょう。
落ちぶれたハリウッド女優が若いツバメを囲った上で最後には殺害するストーリーを、死人が回想するという大胆な構成で語ったこの映画は、やはり傑作である「イヴの総て」のせいでアカデミー賞こそ逃しましたが、ワイルダーのシリアスな映画の中で「深夜の告白」と並ぶクラシックとなり、以後の映画に多大な影響を与えました。
コメディ路線へ
「地獄の英雄」「第十七捕虜収容所」といったシリアスな傑作秀作をはさんで、1954年「麗しのサブリナ」を発表。オードリー・ヘップバーンにとっても「ローマの休日」と並ぶ代表作で、ロマンチック・コメディの古典です。
続く1955年の「七年目の浮気」も、マリリン・モンローを見事に使ったコメディ。以後のワイルダーはアガサ・クリスティ原作の「情婦」、「翼よ! あれが巴里の灯だ」などを除き、もっぱらコメディに専念するようになります。
そして、1957年の「昼下りの情事」でI・A・L・ダイアモンドと出会います。彼の才能に感嘆したワイルダーは以後の脚本を彼と共同執筆することになり、それはワイルダーの最後の作品まで続きました。
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1959年、「お熱いのがお好き」が公開されます。おそらく映画に興味のない人でもこのタイトルだけは知っているでしょう。それで分かる通り、知名度から言えばワイルダー作品でも1、2位を争う映画で、コメディとしてもオールタイム・ベストに選ばれる名作。
マリリン・モンローとしても「七年目の浮気」と並ぶ映画上でのシグナチャーとなった代表作で、その輝きはいまだに薄れていません。また、これはワイルダーにとってもジャック・レモンとの出会いになった映画であり、以後のワイルダー作品のほとんどにレモンは主演として出続けることになります。
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ワイルダー・レモン・コンビの代表作となったのが、翌年1960年の「アパートの鍵貸します」です。
アカデミー賞では作品賞、監督賞、脚本賞を独占。「失われた週末」同様、ワイルダーは一気に3本のオスカー像を手にしました。しがないサラリーマンが上司のおぼえを良くするため、その愛人との情事用に自分の部屋を貸すという、やはりアンモラルな題材。
ハートウォーミング、かつ苦い結末にいたるストーリーが見事な語り口で描かれていて、観客を魅了します。これはワイルダーにとって最後の傑作となりました。
キャリアの終わり
以後、「ワン・ツー・スリーのラブ・ハント作戦」、「シャーロック・ホームズの冒険」と意欲作は続きますが、ニューシネマの時代に入って、ワイルダーの作風は古臭いと見られるようになります。
1974年の「フロント・ページ」などは日本でも好評でしたが、以後はアメリカでの製作は難しくなり、1978年の「悲愁」は当時の西ドイツのスタジオが資金を出したほどで、事実上、ワイルダーの監督としてのキャリアは終わってしまいました。
1981年「新・おかしな二人 バディ・バディ」を発表しますが、これもさほど評判にならず、2002年に他界するまで監督作はありません。
再評価へ
現在のアメリカ映画はニューシネマ以前の時代に回帰する傾向が強く、そのなかでかつては古臭いと見られた監督への再評価が高まっています。
ビリー・ワイルダーはその代表とも言える存在で、「深夜の告白」「サンセット大通り」「お熱いのがお好き」「アパートの鍵貸します」と、シリアス、コメディ両方で代表作を持つ監督は他にはほとんどいません。
これほどの技巧に優れた監督が再び見直されるのも当然で、彼の傑作群はこれからも見続けられることでしょう。