2016年10月28日

ザ・ビートルズの足跡から見て取れる偉大さ

ザ・ビートルズがポピュラー音楽史上、最高のアーティストであることは間違いありません。

ロック音楽というものが世俗的な欺瞞や人間性の抑圧への叛乱だったとすれば、それを一番に体現したのがビートルズでした。ロックが産業となり、叛乱的身振りが商品となってしまった後には望めない姿勢が、このイギリス出身のグループにはあったのです。

揺籃期

まずグループとしての揺籃期、中心にいたのはジョン・レノンでした。

高校生だったジョンが「クオリーメン」というバンドを結成。教会での催しで演奏した時、その観客のなかにいたのがポール・マッカートニーで、音楽の興味が似通っていた二人はたちまち親しくなります。ボールはクオリーメンのメンバーとなり、その紹介でジョージ・ハリスンがバンドのオーディションに参加。ジョージのギター技術は当時、ジョンとポールを凌駕していたようで、すぐにバンドに加わることになります。

その後、何人かのメンバーの入れ替わりはありましたが、結局、最初期からのジョン、ポール、ジョージの三人が不動のラインナップとなり、三人揃ってビートルズというグループの核として認識されます。リンゴ・スターの加入はデビューが決まってからでした。

プロとして演奏活動開始

グループ名を「ビートルズ」に改めた後、彼らはイギリスでの小さな仕事の後、ドイツのハンブルグでプロとしての本格的な演奏活動を開始。のちに「抱きしめたい」などをドイツ語版でも録音したのは、ドイツでプロとして認められたことを恩義としていたからです。

ドイツでの演奏と並行して、生まれ故郷リヴァプールのキャヴァーン・クラブでもライブを始め、かなりの人気を得ます。その演奏を見たブライアン・エプスタインという地元のレコード店店主がマネージャーを買って出、いよいよレコード会社への売り込みを始めることになります。

ようやくレコード契約へ

ブライアン・エプスタインの働きかけによって、様々なメジャー・レコード会社がビートルズに対してオーディションを行いますが、いずれも不合格。全員がいい加減腐っていたところへ、EMI系のマイナーレーベル、パーロフォンの仕事を仕切っていたジョージ・マーティンがオーディションのテープを聞き、彼らに興味を持ちます。そしてオーディションの結果、ようやくレコード契約へ。

しかし、マーティンにしても彼らが売れると思っていたわけではなく、「契約してもこちらには損はない」という程度の、はなはだ熱意のない態度でしかありませんでした。

チャート制覇

1962年10月にデビューシングル「ラヴ・ミー・ドゥ」が発売。チャートでは17位まで上がりましたが、これはマネージャーのエプスタインの手回しによって、地元のファンが大量に買い支えたからだと言われています。

しかし、続く2枚目の「プリーズ・プリーズ・ミー」は見事にチャート1位を獲得。ポピュラー音楽界においてそれまで前例を見ない驚異的なレコードセールス記録の始まりとなります。「フロム・ミー・トゥ・ユー」「シー・ラヴズ・ユー」「抱きしめたい」と、出されるシングルはすべて1位に。

そしてわずか半日でレコーディングされたデビューアルバム「プリーズ・プリーズ・ミー」は発売後すぐに第1位となり、2作目のアルバム「ウィズ・ザ・ビートルズ」がその地位を奪うまで30週間連続でチャートトップに君臨しました。

アメリカで人気に火がつく

ビートルズの人気はやがてアメリカにも飛び火します。「抱きしめたい」がチャートで1位となり、人気番組「エド・サリヴァン・ショー」に出演。それまでイギリスのアーティストはアメリカでヒットすることはありませんでした。あくまでその音楽はマイナーな存在だったのに、それをビートルズは一夜にして塗り替えたのです。

1964年4月には「キャッシュ・ボックス」のヒット・チャートで1位から5位までを独占。これは空前絶後の記録で、それまでアメリカでのマイナーレーベルで発売されていた彼らのシングルが一挙に売上を伸ばした結果でした。

映画でのビートルズ

映画でもビートルズは大きな足跡を残しています。初主演作「ビートルズがやって来るヤァ!ヤァ!ヤァ!」はドキュメンタリー風に撮られたコメディで、リチャード・レスター監督の斬新な演出ぶりもあって高い評価を得、その後のアイドル映画のモデル的存在となっています。

続いて「ヘルプ!4人はアイドル」も同じレスター監督による秀作となり、アニメの「イエロー・サブマリン」はそのサイケデリックな画調で今もカルト的地位を保っています。

最後の映画となった「レット・イット・ビー」はファンとしては複雑な気持ちになるドキュメンタリーで、メンバーによる喧嘩の場面もあるせいか、いまだにDVDやブルーレイにはなっていません。

優れたアルバム群

何と言ってもビートルズが現在につながる評価を得たのは、優れたアルバムを多数残したからです。超過密なライブ活動の合間に名曲を多数生み出し、それらをヒットさせ続けたのも驚異ですが、初期の単純なラブソングから詩の内容も内省的哲学的となり、それに従って曲調も変ってきました。

レコーディングも徐々に凝り始め、6作目のアルバム「ラバー・ソウル」によってオーソドックスなアルバム作りに一区切りをつけ、次の「リボルバー」からは実験的な曲も多く取り入れた先端的な音楽づくりに入ります。

ライブ活動の中止

1966年8月サンフランシスコでのライブを最後にコンサート活動を停止したのは、ライブ会場を飛び回るだけの日々に飽き飽きしていたこともありますが、レコーディングでの実験精神が高揚していたことも理由の1つでしょう。

すでに「リボルバー」からライブでは再現できない曲が多く発表されていましたが、スタジオでのレコーディングに集中し始めてから、当時のポピュラー音楽の枠を超える前衛的なアルバムを次々と発表するようになり、今まで彼らのことを女の子向けの軟弱なポップ・グループとバカにしていた批評家や他のジャンルの音楽家たちを注目させるようになります。

サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド

つらいライブ活動から解放され、それが各メンバーに影響したのか、その直後にレコーディングされたアルバムは、それまでのアルバムを越える出来栄えとなりました。その「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」(当時勃興していたサイケデリック・ロックのバンドの名が長いことをもじったタイトル)は、ロック史上の金字塔と言われ、ロック・アルバムのオールタイム・ベストを選ぶ際は常に1位となる名盤です。

当時ビートルズがレコーディングを行っていたアビーロード・スタジオは4チャンネルの機材しかなかったのですが、そうとは思えないほど複雑な音作りがされていて、いまだに神秘的といえるほどの素晴らしさです。ロック畑の評論家はもちろん、レナード・バーンスタインのようなクラシックの音楽家までその出来栄えを絶賛しました。

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  • 出版・メーカーユニバーサルミュージック
  • 発売日2013-11-06

グループの崩壊の始まり

自身が監督を務めたテレビ番組「マジカル・ミステリー・ツアー」の発表のあと、彼らはアップルという会社を設立し、起業家としてレコード版権の管理やブティックなどの経営に乗り出します。
しかし、長年マネージャーだったブライアン・エプスタインが急死し、ビジネス面で無名時代から付き合いのある人間がいなくなると、彼らの周りには詐欺師まがいの胡散臭い人種が群がるようになり、アップルの経営もすぐに傾き始めます。

その影響がグループ内の人間関係にも及び、色々な面でポールにリーダーシップを奪われていたジョンが小野洋子との恋愛のせいもあってビートルズとは別の活動を始めるようになり、ポールとの高校時代からの友情にも亀裂が入りました。アップル・レーベルで発売された「ホワイト・アルバム」は各人が勝手にレコーディングしたものを集めたような印象で、聞く側にもグループ内の不和がうかがわれる内容です。

フィルムに記録されたメンバー間の亀裂

いまや実質上のリーダーとなったポールはグループの再建を目論みます。
初期のような簡素なライブ風のアルバムを作り、それをドキュメンタリーとして撮影。そのアルバムと映画を同時に発表するという企画を立て、嫌がるメンバーを説得して実行しますが、フィルムに記録されたのは、ポール以外のメンバーのやる気のない演奏、ジョージとポールの陰湿な口喧嘩など、ファンを幻滅させるバンドの内幕でした。もはや誰の目にもグループが機能していないことは明らかだったのです。

最後の輝き「アビイ・ロード」

それでも、各メンバーはこれが最後だと思いながらレコーディングに臨みます。出来上がったのが「アビイ・ロード」。

「サージェント・ペパーズ」と並ぶ、ロック史上に残る名アルバムで、特に後半から始まるメドレーはビートルズ最後の輝きとされ、そのキャリアを締めくくるにふさわしいといえます。このあと、以前録音されたアルバム「レット・イット・ビー」の発売、そしてジョンの死後に3人が集まってのレコーディングなどもありますが、実質上、この「アビイ・ロード」がビートルズとしての活動の最後でした。

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ポップスの基礎

ビートルズは様々な点でイノベーターでした。大規模な会場でのコンサート、実験的な曲作りとレコーディング、アルバムによってアーティストの評価が決まる慣習など、現在にまでつながるポピュラー音楽の基礎は彼らによって築かれたといっても過言ではありません。

ロックという音楽ジャンルは衰退しかけていますが、ポップソングがある限り、彼らは目指すべき偶像として君臨し続けるでしょう。

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