2016年10月27日

「次郎物語」で論語の精神を学ぶ

『次郎物語』は、そのタイトルの通り、次郎という名前の少年の成長を描いた物語です。昭和11年から、作者である下村湖人が亡くなる直前の昭和29年まで連載されました。

一般的には子供向けの、児童小説と思われがちな作品ですが、大人にとっても充分に価値のある小説だと言えます。子供や若者は主人公である次郎の目線で読み進めることができますし、子供のいる大人ならば次郎を通して我が子の内面に触れるような気持ちがすることでしょう。

作中には立派な先生が何人も出てきて、まるでお説教じみた話をする場面もあるので、ちょっと堅苦しくて敬遠してしまいたくなるかもしれませんが、一度手に取ってもらえれば、きっとその面白さの虜になること請け合いです。
2016年10月現在、Amazonのサイト上での評価は、上巻・中巻が5点満点中の5点、下巻が4.5点となっています。

作者・下村湖人について

『次郎物語』は、作者・下村湖人の自伝的小説的な要素を含んでいると言われています。例えば、作者自身が次郎と同様に、幼い頃里子に出されていたことや、兄弟に囲まれて育った境遇は主人公次郎そのものと言えます。

下村湖人は『論語物語』の作者としても知られています。この作品は、中国の思想家・孔子とその弟子たちの言行録である『論語』を、子供でも容易に理解できるよう、作者の解釈で物語風に焼き直したものです。『次郎物語』もそれにかなり近い側面があり、作中で次郎を取り巻く大人たち:父親や祖父、または学校の恩師などがそれぞれの場面で次郎に様々な教えを説くのですが、大人たちは「孔子」、次郎は「弟子」という構図と捉えることができるでしょう。一人の男児の成長録であると同時に、儒学の素養をも身に付けることができる一冊、それが『次郎物語』です。

中学校や高等学校の校長も勤めた下村湖人ですが、優れた教育者であったことは間違いありません。私たちはその下村湖人の教えを、『次郎物語』を通して、彼の死後60年以上経った今でも受けることができるのです。

幼年期の次郎〜愛に飢えた子どもの心理

この小説の主人公、本田次郎が産まれた日から物語は始まります。次郎は3人兄弟の真ん中で、産まれてすぐに里子に出され、両親と離れて育ちます。物心ついた頃に乳母のところから生家に戻されるのですが、父親はほとんど不在、母親は非常に厳しく現代で言う「教育ママ」のような感じ。また同居の祖母は長男の恭一ばかりを溺愛すると同時に次郎のことを疎んじ、更にその恭一は末弟の峻三と一緒になって次郎を苛めます。そんな複雑な家庭環境の葛藤の中で、次郎は自分を可愛がってくれる大人を求めながら成長していきます。

愛情不足に育った子供の心理を鋭く描いており、また幼少期の残酷な子供の一面も随所に出てくるので、自分自身の過去を暴露されたような、気恥ずかしい気持ちを感じる読者もいることでしょう。また、孤独や寂しさが幼い子供の心をどのように蝕んでいくのか、或いはそんな子供の心を癒すにはどうすれば良いのか、現代にも通じるヒントがたくさん隠れているように思われます。

次郎は紆余曲折の末に母方の実家に預けられることになりますが、母方の祖父母や親戚に囲まれて、曲がりなりにもすくすく育っていきます。しかしそんな中、母が結核にかかり、再び生家に戻されることになります。母は治療の甲斐も無く亡くなってしまうのですが、死去する間際、「子供はただ可愛がってさえやれば良いのだ」と悟ります。かつては自分の理想を子供に押し付け、それを愛情だと勘違いしていた教育熱心なこの母親の姿は、きっと現代の女性たちにも参考になるところがあるでしょう。

なお、病床の母親に次郎がなけなしの小遣いをはたいて牛肉を買ってくる場面があるのですが、周囲の大人は次郎の健気な行動に感動するのに対して、ひとり母方の祖父だけは苦々しい表情を浮かべるのみで、次郎の行いを評価しません。この祖父は誰よりも次郎を可愛がってくれた、数少ない理解者の一人であるにも関わらず、です。これは恐らくは、周りに褒められたいという打算からくる行いや虚栄心から来る言動は決して立派とは言えない、ということを示唆しているのでしょう。子供のための教育書という範疇に留まらず、大人が読んでも必ず何かしら得られるものがあるはずです。

次郎の成長〜周囲の大人たちが子供に与える影響力

家族・親族の中では、既に述べたように母方の祖父が最初に次郎を気にかけてくれた人物として描かれています。生家で居場所の無かった次郎を自分の家(次郎から見て母方の実家)に預かり、自分の目の届く場所に置いて育ててくれた人です。また、物語の出だしには出番の少なかった実父も、父親としての純粋な愛情を次郎に注ぎます。

そして、次郎の乳母であるお浜も、実の母以上に次郎のことを溺愛し、愛情を注いでくれましたが、諸事情があり次郎を置いて遠くへ行ってしまいます。しかしそれらの大人たちからの愛情だけでは不充分であり、母親からの愛に飢えて育った次郎は、自分だけに愛情を注いでくれる大人・自分にとって一番の味方になってくれる大人を常に求めるようになります。その渇望から来る苛立ちを抑えきれず乱暴をはたらくこともあれば、場合によっては大人の愛情を試すような行動に出たりもします。このような心の動きは、今の時代の非行に走る子供の感情にも似ているように思われます。いかに母親の絶対的な愛が子供に必要不可欠なものかが分かります。

このように、『次郎物語』の中にはたくさんの大人が出てきて、彼らの子供に対する接し方や心のうちに抱く感情などが、非常に丁寧に描かれており、子供の成長において、周囲の大人たちとの関係性がいかに重要で、意味を持っているかを物語っています。

次郎が母親の死を乗り越え、少年期から青年期へとその人生を進めるにつれて、兄弟との関係も変化していきます。とりわけ、兄の恭一は幼い頃は末っ子の峻三と「ぐる」になって次郎を苛めていましたが、分別がつくようになるとお互いに心を通わせるようになります。肉親からの愛情は、次郎にとって一つの大きな心の支えとなります。

次郎は学校で色々な教師に出会いますが、尊敬に値する先生もいれば、全くそうでない人物もいます。その中の一人、朝倉先生は以降次郎が師として慕うようになる、次郎物語の中で「孔子」的な存在である人物になります。このような、長きに渡って師と仰げる人物との出会いは非常に貴重なかけがえの無いもので、朝倉先生のような人が身近にいてくれたらとも思わされますが、それでも、私たちが『次郎物語』を通して、朝倉先生の教え、言い換えれば下村湖人の教えを、時代を超えて受けることができることは、幸せなことだと言えるのではないでしょうか。

大人の次郎〜描かれなかった未来

『次郎物語』は未完の小説と言われています。下村湖人によって書かれたのは第5部までですが、実際は第7部まで執筆の予定があったそうです。作者が亡くなったことで、未完に終わってしまっています。もし続編が書かれていれば、次郎の将来はどうなっていたのだろうかと感じる読者は多いようです。

特に、次郎の恋愛の行方が結局どんな結末を迎えるはずだったのか、作者の構想が非常に気になるところです。というのも、次郎は実兄である恭一の婚約者・道江に恋をしてしまったからです。自分の気持ちを誰にも打ち明けられず、苦しんでいたのですが、恭一に自分の秘めたる気持ちを見破られてしまいます。恭一は道江との婚約を一方的に破棄すると宣言するのですが、道江は既に恭一を深く愛しており、また恭一が次郎のために縁談を断ったことを知らないため、あろうことか次郎に助けを求めてくるのです。

『次郎物語』の根底に『論語』の精神が色濃く反映されているのは疑いの余地がありませんが、『論語』には恋愛に関するような提言は一切出て来ません。『論語』の書かれた春秋戦国時代には、女性蔑視の風潮がまだまだ根強く、いくら孔子が立派な思想家・教育者であったと言えども、彼もまた男尊女卑の思考の持ち主であったと言われています。ですから、人生に迷った時、それがもし恋愛に関することであったなら、いくら『論語』を読んだとしても、そこに答えは書かれてはいないのです。

しかし、「現代版論語」とも言えるであろう『次郎物語』は、もしかしたら恋愛に関しても、我々に深い教えを与えてくれたかもしれないのです。もし、未完で終わっていなければ…。

論語の価値観に基づいた上での恋愛とはどのようなものであるのか。これは大変興味深い主題だと思います。もしも『次郎物語』が第7部まで執筆されていたなら、苦悩の恋愛を経て次郎が一体どのような大人に成長していたのか。恋愛というものの人生における意義を、示してくれたかもしれません。

終わりに

私のバイブルともいえる『次郎物語』を紹介させていただきました。この本は人生に迷った時常に私に進むべき道を示してくれました。1人でも多くの人に、この本を知ってもらえたら、嬉しく思います。

おすすめの小説をランキングで紹介【人気の名作】
おすすめの小説をランキングで紹介【人気の名作】
この記事は、運営チームとユーザーの投票によって「おすすめ」された、人気の小説を、ランキング形式で紹介しています。1位から順に表示され、スクロールするほどランキング下位になります。読みたいと思える小説探しのお役に立てれば幸いです。

本・小説・漫画の記事を探す

この記事に関するキーワード

カテゴリ一覧