2016年10月28日

苦難を糧に世界へ切り込め!~「齋藤学」選手(横浜F・マリノス)~

Jリーグ横浜F・マリノスに所属するMF齋藤学(さいとうまなぶ)選手をご存知でしょうか。高速ドリブルで左サイドからゴール前に切りこみ、右足からのシュートや精度の高いパスで得点機を演出する、いまやチームに必須の選手になりました。

大黒柱であり精神的支柱でもある中村俊輔選手をケガで欠いた2016年シーズンにおいて、攻撃の軸としてなくてはならない存在となっています。

齋藤学選手は、10月にはロシアW杯を目指してアジア最終予選を戦う日本代表にも選出。
戦術上の理由で招集された2試合での出場機会はありませんでしたが、攻撃面で傑出した能力を持つ齋藤選手を出さずに引き分けで終えたオーストラリア戦後には、日本中から「なぜマナブを出さない!」という阿鼻叫喚にも似たハリル監督批判が多数あったことも記憶に新しいと思います。

いまやJリーグを代表するドリブラーとなった齋藤選手ですが、これまでどのような足跡を辿ってきたのでしょうか。

マリノス一筋?のサッカー人生

齋藤選手は神奈川県川崎市出身の26歳。横浜F・マリノスのジュニアユース(中学年代)、ユース(高校年代)から、2009年にプロ選手としてのキャリアを歩み始めました。

2008年にはユース登録ながらJリーグの試合に出場可能な2種登録選手として、7試合に出場しています。そのうちの数試合を実際にスタジアムで観戦したことがあります。
当時は丸坊主で、小柄(169cm)ながら重心が低く速いドリブルを持った選手だなという印象でした。
2種登録の2008年から2010年というルーキーの期間で、リーグ戦23試合に出場しています。ただ、リーグでのゴールは無し。本人も「今まで生きてきた中で、そんなに点を獲れなかったことはなかった」とコメントしています。
名門チームの下部組織からトップチームに昇格した超エリートの彼にとって、初めての挫折だったのかもしれません。そんなマリノス一筋のキャリアの中で、一度だけ齋藤選手が違うクラブのユニフォームを着たことがあります。大ブレイクのきっかけとなった、J2愛媛への期限付き移籍です。

誰かにやってもらうではなく俺がやる

愛媛FCに期限付き移籍した2011年、齋藤学選手はJ2の舞台で大暴れします。

愛媛FCで自信を失いかけた齋藤選手を迎えたのはクロアチア人のバルバリッチ監督でした。いち早く彼の能力に気づいた監督は、「マナブにだけは自由を与える」と公言。攻撃の全権を齋藤選手に委ねました。
その信頼を裏切ることなく、この年に彼は愛媛の攻撃をけん引。36試合に出場して14ゴールを挙げました。
特に有名なのが5月8日の湘南ベルマーレ戦。試合終了間際に得意のドリブルで切り込んでのゴールに、相手指揮官が「愛媛のメッシにやられた」とコメントしました。
ここから、齋藤選手のニックネームがあの世界No1名手であるリオネル・メッシになぞらえられることとなったのです。

マリノスでは下部組織出身ということもあり弟分的なキャラの役回り、しかも名門チームでは経験のある先輩がたくさんいる中である意味「使われる選手」だった彼が、「プロの舞台でも俺が決める」という本能に目覚めた1年だったのではないでしょうか。

トリコロールへの帰還

2012年、愛媛での武者修行を終えて横浜F・マリノスに帰還した齋藤選手。伝統のとリコールのユニフォームに再び袖を通します。

この年から、永らく坂田大輔が付けていた背番号11を受け継ぎます。いよいよ自分の「本当の居場所」であるべきマリノスでその活躍を期待されることとなりました。
前年に彗星のごとく現れたユースの後輩である小野裕二が、木村和司、中村俊輔(横浜FM)、山瀬功治(京都)が背負った伝統の10番を受け継いでいました。2人は時には左サイドのアタッカーのポジションを争うライバルとして、時には1トップとアタッカーとして抜群のコンビネーションを見せ、お互いが切磋琢磨していきます。
齋藤選手は発表を直前に控えたロンドン五輪に出場する日本代表の座を虎視眈々と狙い、結果的にその権利を掴みとりました。五輪ではスペインA代表の経験もあるジョルディ・アルバ(バルセロナ)と対等にわたりあうなど、愛媛で得た自信を1歩も2歩も前に進めていくことになります。

ブラジルW杯での悲劇

順調にJリーグでステップアップしていった齋藤選手をザッケローニ日本代表監督もブラジルW杯のチームに組み込むことになります。
齋藤選手のようなドリブラーは、膠着した状況を打開するジョーカーとして期待されることも多く、その能力は高く評価されていました。ただ、海外組中心で事実上メンバーを固定して熟成させてきたチームのなかに、齋藤選手は確固たる自分の立ち位置を見出すことができませんでした。
その象徴がグループリーグ第2節の対ギリシャ戦。初戦を落とした日本は決勝トーナメントに向けてどうしても勝利が欲しい一戦でした。しかし、0-0で膠着した状況で、最後まで齋藤選手の名前は呼ばれませんでした。結果、彼にとって初のワールドカップは出場0分で終了してしまいました。

ロシアへの道、世界への道

ザッケローニからアギーレ、そしてハリルホジッチと代表監督が目まぐるしく変わる中、齋藤選手の代表招集回数は徐々に減少していきました。そのような中で迎えた2016年シーズン。齋藤選手の輝きがまさにキャリアの中で最もまばゆいものとなっています。
一度スピードに乗ればファール覚悟でないとストップできない、相手にとってはまさにお手上げ状態になるほどの無双ぶりです。「〇〇のメッシ」ではなく「横浜の齋藤学」がJリーグファンの中で改めて鮮明に焼き付けられました。

代表にも再び名を連ね、試合で使わなければ「なぜマナブを使わない」と監督が批判されるような状況です。広くアジアに、世界にその名を、そのドリブルを知らしめるのも時間の問題ではないでしょうか
。そして、4年前のブラジルW杯での悔しさを胸にロシアW杯で齋藤学が大暴れする姿が今から楽しみです。最後に、いちマリノスサポーターとして、彼には栄光のトリコロール色のユニフォームでクラブW杯を制してほしい、そう思っています。彼が走り続ける限り、私たちサポーターは彼のチャント(応援歌)叫びます。

「さぁ見せてくれ!さぁ決めろマナブ!ネットに突き刺せマナブゴール!!」 

人気のスポーツ選手ランキング【日本の男女アスリート】
人気のスポーツ選手ランキング【日本の男女アスリート】
野球、サッカー、水泳、バスケットボール…と日本には様々な競技にたくさんの魅力的なスポーツ選手がいます。けれど競技をまたがってどの選手が人気があるのか、ということがあまりなかったので、当サイトで運営チームとユーザーの投票によっておすすめの選手の中から人気の順位を付けてみました。 皆さんが好きなスポーツ選手がいたら、その選手の項目の右下にあるGoodボタンを押してみてください。Goodが上の選手よりも高くなれば、その選手の順位が上がりますよ。

この記事に関するキーワード

カテゴリ一覧